【世間はオワコン】鴻上尚史著『「空気」と「世間」』の感想と概要

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鴻上尚史『「空気」と「世間」』の要約と感想 勉強・読書
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この記事でわかること

  • 鴻上尚史『「空気」と「世間」』の概要
  • 空気を読まなくてもいい理由
  • 日本人が世間を気にする理由

作家・演出家の鴻上尚史さんが著した『「空気」と「世間」』の感想を書いています。

自己紹介

がまくん
がまくん
  • 20代の専業主夫
  • 理系の大学院卒
  • 新卒1年目で退職し主夫に
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空気とは世間が流動化したもの

空気を読む会社員

「空気を読め」とよく耳にしますが、「空気」とはいったい何なのでしょうか

空気を読む術は身につけても、そもそも空気が何かを考える人は少ないと思います。

多くの人は空気の正体を知らないまま空気を読もうとしているのです。

当書では曖昧であやふやな「空気」の正体が暴かれていきます。

先に結論から述べると、

「空気」とは「世間」が流動化したもの

と鴻上さんは考えています。

「世間」とは、あの「世間体が悪い」とか「世間を騒がせた」とかの「世間」です。

その「世間」が、カジュアル化し、簡単に出現するようになったのが、「空気」だと思っているのです。

鴻上尚史 – 「空気」と「世間」

「空気」の正体を暴く前に「世間」について知る必要があります

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社会ではなく世間に生きる日本人

窮屈な世間で生きる男性

当書では「社会」との対比で「世間」が語られています。

社会は輸入品、世間は国産品

「社会」という言葉は明治時代に英語「society」の訳語として誕生しました。

英語が輸入されるまで日本には「社会」という言葉も概念もなかったのです。

日本人は長い間「世間」の中で生きてきましたが、西洋化を目指す過程で「社会」が導入されました。

日本人にとって「社会」と「世間」は似て非なるものなのです。

社会は建前、世間は本音

日本人にとって、

「社会」=自分に無関係な世界

「世間」=自分に関係のある世界

ということです。

無意識に「社会」と「世間」を区別しながら生きているのです。

「社会」とは、文字と数式によるヨーロッパ式の思考法です。「近代化システム」と呼べるものです。僕たちは、「建前」と言ったりします。

「世間」は、言葉や動作、振る舞い、宴会、あるいは義理人情が中心となっている人間関係の世界です。「歴史的・伝統的システム」と呼べるものです。「本音」ですね。

鴻上尚史 – 「空気」と「世間」

社会=理性が支配する近代化システム世間=感情が支配する人間関係と捉えるのは非常に面白いですね。

理屈で説明しても「言ってることは正しいけど、世間では許されないよ」となるのが日本の特徴ということです。

落とし物は届けても、席は譲らない

当書では「社会」と「世間」の違いを示す例として、電車内のマナーが紹介されています。

はじめに、日本に来た欧米人が「日本人はマナーがいい」と感じる例です。

日本在住の<br>欧米人
日本在住の
欧米人

電車にバッグを置き忘れたけど盗まれなかった!

日本人はマナーがいいね!

私の実感としても落とし物は手元に戻ってきますし、落とし物を見つけたら盗まずに警察に届ける人が大多数だと思います。

次に、欧米人が「日本人はマナーが悪い」と感じる例です。

日本在住の<br>欧米人
日本在住の
欧米人

日本は電車でお年寄りに席を譲らない人が多すぎる!

みんな下を向いたり、平気でスマホをいじっている!

日本で席を譲る人はヒーローのように見えますが、欧米では至って自然な行為なのかもしれません。

私もお年寄りに気づいていないふりをしたり、目立ちたくなくて「どうぞ」の一言がいえない気持ちはわかります。

日本人が電車で忘れ物を盗まないのも、席を譲らないのも電車内は「社会」であって「世間」ではないからです。

つまり、たまたま電車に居合わせた人は自分には無関係な世界の人間と考えているのです。

世間を構成する5つのルール

「社会」が自分に無関係な世界なのに対し、「世間」は自分に関係のある世界です。

たまたま乗った電車は「世間」にはなり得ません。

では、私たちはどのような条件を満たしたときに「世間」と認識するのでしょうか

当書で紹介されている世間を構成する5つのルールを紹介します。

世間のルール①|贈与・互酬の関係

簡単にいうと「互いにお返しをし合う関係」です。

たとえば、お中元やお歳暮、ご祝儀・ご香典のお返しがあります。

他人の家を訪問する際の手土産も「世間」で生きるには欠かせません。

贈り物を貰いっぱなしの人は世間知らずで、お返しをすることが当然とされています。

世間のルール②|長幼の序

年上か年下かが重要ということです。

学年や入社年度が上というだけで敬意を示すのは世間特有のルールなのです。

「社会」では年齢によらず素晴らしい人は素晴らしいし、間違っている人は間違っていると考えます。

世間のルール③|共通の時間意識

同じ「世間」に生きる人は、同じ「時間」を生きていると考えます。

「先日はありがとうございました」は共通の過去を生きた確認
「今後ともよろしくお願いいたします」は共通の未来を生きる宣言です。

子が成人しても親子がそれぞれを独立した個人とは考えず、死ぬまで親子関係を続けるのも「共通の時間」を生きているからと説明できます。

世間のルール④|差別的で排他的

同じ「世間」にいない人、すなわち「社会」の人間を無視するのも特徴のひとつです。

クラス全員で特定の1人を無視するイジメもクラスという世間が生む差別行為です。

世間のルール⑤|神秘性

具体的には「迷信」「おまじない」「しきたり」の類です。

全く根拠がなくても「世間」では正しいと信じられています。

世間が不合理な事柄で満たされていることには共感しかありません

私は今まで世間の神秘性に数多くの疑問を抱いてきました。

たとえば「部活を休んではならないとの教え」や「エスカレーターの片側を空ける風潮」、「全員が団結すれば良いものができる論」など枚挙にいとまがありません。

これらについては別記事で語ります。

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世間は日本の神様

キリストの似顔絵

欧米人が「神(キリスト)」を信じるのと同様に、日本人は「世間」を信じます

実は1000年くらい前には欧州にも「世間」があったようです。

しかし、教会がキリスト教を広めるべく「世間」の存在を否定したことで、「世間」が消滅し代わりに社会(society)と個人(individual)が生まれたと解説されています(詳細は『「空気」と「世間」』第二章)。

簡単にいうと、人間は放っておけば「世間」を形成しますが、欧米では教会の影響により「世間」が「神」に取って代わられたということです。

約1000年前の教会の働きにより、現代の欧米人は神との対話を重視します

キリスト教信者<br>(欧米人)
キリスト教信者
(欧米人)

困ったときは個々人が神様と対話をして答えを出すぜ

「神と個人」の対話は1対1の関係なので、欧米人は個人主義に見えるのです。

一方、日本ではキリスト教のような一神教が流行らなかったので「世間」が残り続けています

日本人
日本人

困ったときは世間の声に耳を傾けて答えを出すぜ

日本人にとっての「世間」は神に匹敵するくらい絶対的な存在なのですね。

世間が崩壊して空気が流行る

周りの目を気にせず、一人で気ままに生きる人

近年、日本人の精神的支柱でもある「世間」が崩れてきているようです。

崩れかけの世間、すなわち世間のルールがいくつか欠けたものが「空気」です。

なぜ世間が崩壊しているのか

「世間」は時代とともに崩壊していきました。

農村が中心だった時代

現在のように労働者が都会に集まって働く前は、生まれた街で農業などをやりながら一生涯を過ごしていました。

農村では「世間」の掟が村人の自由を縛っていましたが、村人にとって農村という「世間」は経済的なセーフティーネットでもあったのです。

農村の村人
農村の村人

不自由だけど、掟に従っていれば食いっぱぐれないからね〜

産業化・都市化が進んだ時代

産業化に伴って都市部に新たな仕事が誕生しました。

村人は農村に留まらなくても食っていけるようになったので、村を出て都市部に移動します。

こうして地域的な「世間」は弱体化し、農村に代わって誕生した「世間」が会社です。

高度経済成長期の会社では社員が家族のように付き合い、入社から定年までを一社で過ごすのが普通でした。

高度経済成長期の会社員
高度経済成長期の会社員

終身雇用と年功序列が担保されているから、安心して定年まで働けるぜ

グローバル化した時代

安心も束の間、経済のグローバル化に伴って非効率な日本的経営が問題視され始めます。

終身雇用を撤廃して雇用の流動性を高めること、年功序列ではなく能力にもとづいて評価することが利益につながるとわかったのです。

さらに、外資系企業の自由な働き方や、外国人と帰国子女の「世間って不自由すぎ」という意見も目にしやすくなってきました。

現在の日本人
現在の日本人

会社という「世間」にすがる意味はないし、もっと自由に働きたい

「世間」にすがるメリットが薄れたことで「世間」の崩壊が進んできたのです。

空気にすがる現代の日本人

神もなく世間も崩壊した現在、日本人がすがっているのが「空気」です。

支えてくれる安定した「世間」が欲しい。けれど、「世間」はかなりのレベルで壊れている。今までのような安心できる「世間」はない。だから、せめて「空気」に自分を支えて欲しいと思う。

鴻上尚史 – 「空気」と「世間」

空気の問題点は、空気から得られるのが「共同体」ではなく「共同体の匂い」ということです。

「世間」として機能する「共同体」のように確固たるルールがなく、常に揺れ動く「共同体の匂い」を察知して行動しなければならないのです。

ただ問題は、「共同体の匂い」という「空気」に敏感になることは、常に、多数派を意識することになる、ということです。

鴻上尚史 – 「空気」と「世間」

「世間」から逃れて自由になったつもりが、結局は自己を抑えて多数派に従わなければなりません

しかも「空気」を読んで得られるメリットが「世間」ほどはないのです。

世間を脱して社会で生きるには

自由で余裕のある社会

当書では、ほんの少し強い個人になって「社会」の中で生きることが提唱されていました。

ほんの少し強い個人になるには空気を読みすぎないことが重要です。

たとえば自己紹介の場面で、最初の2,3人が「〇〇出身で、趣味は〇〇で、特技は〇〇です。」と話せば、あとの人も「出身、趣味、特技」の型で話しがちですが、型を無視して自分が話したいことを話してみましょう。

また「世間」に息苦しさを感じているのなら、「世間」から脱することも重要です。

職場やクラスの雰囲気が嫌ならば、辞めることが最良です。

簡単に辞められない場合は「世間」あるいは「空気」のルールを把握し、ルールを違反しないように振る舞って従順なメンバーを装うこともアリです。

より具体的な方法は鴻上尚史著『孤独と不安のレッスン』に書いてありそうなので、私も読んでみようと思います。

まとめ

この記事では、鴻上尚史『「空気」と「世間」』の感想と概要を書いてきました。

「空気」という曖昧なものを歴史・宗教・経済などあらゆる角度から掘り下げて、現代の息苦しさを明確に示してくれる非常に面白い本でした。

「空気」だけではなく「世間」「社会」「個人」といった抽象的な概念もスッキリと言語化されており、頭の中が整理されて気持ちよかったです。

私は今まで「世間」「常識」「普通」に拘束されず、個人が自由に生きた方がいいのではないかと考えてきました。

しかし、学校や会社では依然として「世間」のルールが幅を利かせており半分諦めていました。

当書を読んで、自分が生まれるずっと前と比べれば「世間」の崩壊は進行していると知り、少し希望を見出せました。

私は個人主義的な思想が強いので世間の崩壊を喜ばしく思うと同時に、結局は「空気」に拘束される悲しい現実も認識できました

なにはともあれ、今までは正体不明の「空気」に振り回されてきましたが、当書を通じて「空気」の正体を学べたので今までよりは振り回されずに済みそうです。

今回紹介したのは当書のほんの一部なので、ぜひ全編を読んでみてください。

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