この記事でわかること
- 反出生主義
- 反出生主義の正しさ
- 私が子なし夫婦でいる理由
自己紹介
- 20代の子なし専業主夫
- 出産の予定はなし
- 反出生主義者ではない
*私は反出生主義者でも専門家でもありません。反出生主義の一部の思想を引用して、私個人が子どもを持たない理由を説明しているだけです。
反出生主義は危険思想?
反出生主義とは?
反出生主義は主に2つの主張から成ります。
① 誕生の否定:全ての人間は生まれてこなければ良かった
② 出産の否定:全ての人間は子どもを生むべきではない
なんとなく怖い感じがしますよね。
注意が必要なのは自サツやサツ人を推奨する思想ではない点です。
まだ生まれていない命について言及しているんだね
社会では一定の割合で不幸な人間が生じてしまいます。
そもそも苦痛を感じる主体が存在しなければ不幸も消える
このような理論で出生を否定します。
意外にも人類を不幸から救うことを目的とした思想なのです。
誕生の否定
反出生主義の主張の一つに「誕生の否定」があります。
これは、全ての人間は生まれてこなければよかったという思想です。
主張はシンプルですが、インパクトは絶大ですよね。
誕生の否定に対しては次のような反論も想定されます。
苦しいこともあるけど、楽しいこともあるじゃん
反出生主義では「苦しみがないこと」に重きを置きます。
誕生した場合
→ 楽しみは存在する(プラス)
→ 苦しみも存在する(マイナス)
誕生しない場合
→ 楽しみは不在(マイナスではない)
→ 苦しみも不在(プラス)
苦しみの不在はプラス。
楽しみの不在はマイナスではない。
総合的には「誕生しない場合」の方が良いとなるのです。
このように反出生主義では誕生を否定します。
出産の否定
反出生主義のもう一つの主張は「出産の否定」です。
これは、全ての人間は子供を生むべきではないという思想です。
全人類を幸せにするなんてのは不可能ですよね。
そんな手立てがあれば既に実行されているはずです。
人生に絶望する人は一定の割合で生まれるのです。
親がいくら努力しても不慮の事故など不幸を誘発するリスクをゼロにはできません。
不幸を生まないためには出産をやめるしかない
これが出産の否定です。
出産をやめたら人類は滅亡するよね?
反出生主義は人類滅亡を容認します。
環境破壊や戦争など苦痛を伴う滅亡よりも、老衰による滅亡の方が苦痛が少ないと考えます。
反出生主義は反論できない?
反出生主義は正しすぎる
反出生主義は正しいと思います。
感情論を持ち出さずに反論するのは困難です。
超知能AIがあれば、反出生主義をベースに意思決定をしてもおかしくありません。
一方、私は反出生主義に完全に共感しているわけではありません。
共感はせずとも、
理論的には正しいので「取り入れるべき要素」はあります。
反出生主義者ではないけど、一部の思想をいいとこ取りしてるよ
幸せゆえ「誕生の否定」がわからない
私は「誕生の否定」に共感できません。
それは、私が幸せだからです。
現時点で人生に絶望したことはないからね
私が「他者を犠牲にして幸せを追求している愚か者」なのは事実です。
受験や就活で他者を退けましたし、チョコの味を知らない子が収穫したカカオを貪り食っています。
しかし、私は罪悪感を抱きません。
私が誕生したのは「私の責任」ではなく「親の責任」だからです。
私の誕生に関して、私の意思は一切介在していないよ
私の幸福と引き換えに誰かが不幸になっても、罪悪感を抱く必要がないのです。
「生まれるべきでなかった」なんて考えず、好き勝手に生きたいのです。
個人レベルでは「出産の否定」をする
「出産=親のエゴ」という主張には99%同意します。
人口中絶が禁じられている地域や人権が怪しい地域は例外です。
確実に言えるのは、
自らの意志で生まれた人間は一人もいないことです。
胎児には「誕生」を決定する能力も権限も付与されていません。
望んで生まれたわけでもないのに苦痛に耐えて生きるのは理不尽です。
でも、全ての人間が出産すべきでないとは思わないな
私は他人が出産しようがしまいがどうでもいいです。
「人類のために出産をやめよう」と叫ぶほど人類を愛していません。
エゴを押し通すのもアリだと思います。
この点において、私は反出生主義者ではないのです。
あくまで個人として出産を否定しているよ
「子なし夫婦」でいたい理由
ここでは、私が出産を望まない理由を紹介します。
妻は出産について中立なので夫婦としての結論ではありません。
子に対する責任を負いたくない
① 出産は親のエゴであること
② 育児は不確定要素が多すぎて制御不能なこと
以上より、
私は出産をギャンブル的な行為だと考えています。
子は親のギャンブルに否応なしに巻き込まれる存在に他なりません。
出産&育児は親にとってもリスクだよね
ギャンブルの結果に対して最低18年間の責任が生じるからです。
そんな危険な賭けに出るほど切羽詰まっていないので出産には否定的です。
ウザい親になりたくない
最近は毒親が問題になっています。
明らかな毒親ではなくても、親の存在をどう捉えるかは子次第です。
良かれと思ってやったことが、子にとっては害悪かも?
特に私が嫌悪しているのは「育ててやった」と偉そうにする親です。
育ててあげたのだから感謝してよ
自分の好き勝手で産んでおいて「感謝しろ」なんて厚顔無恥もいいところです。
また、子が自分の期待に応えてくれないことを嘆く親もいます。
私たちは皆、生まれた時点で親の期待に応えています。
生まれてからもなお、親の期待に応え続ける義理はないのです。
「親に心配をかけるな」とか「親に感謝しろ」とか、片腹痛いです。
こんな無恥な親にはなりたくないね
しかし、世間では親孝行がやたらと美化されています。
育児活動が親に過剰な自負心を与えているとしか思えません。
ひとたび育児に加担すると、自分も無恥な親になる気がしてならないのです。
今が幸せだから
非人道的とはいえ、出産を人生の醍醐味とする考えにも一理あります。
しかし、
現に私は子どもがいなくても十二分に幸せです。
出産という危険かつ愚鈍な賭けにでるほど幸福に飢えていないのです。
未来に目を向けてもまだまだ「やりたいこと」があります。
やりたいことが尽きるまでお金と時間を夫婦二人で独占したいのです。
子を巻き込まずに夫婦二人だけでエゴを押し通す方が人道的
出産のリミットを危惧する人もいるでしょう。
出産にはリミットがある…
しかし「リミットが迫っているから産もう」という発想こそ愚かでしょう。
「セール期間が終わるから(大して欲しくないけど)今のうちに買おう」と同じ発想ですから。
まとめ
この記事では、反出生主義について子なし主夫が考えていることを書きました。
人間の知性が本能を凌駕している点は非常に興味深いです。
サルの進化の流れを受けて人間は知性を発達させてきました。
人間は知性をもってして文化や科学を発達させ、自然的制約を無力化し、広範かつ大量に繁殖したエリート生物です。
そんなエリート生物の人間が、エリートすぎるが故に自らの知性によって絶滅すれば、まさに因果応報ですね。
とはいえ「子は親を選んで生まれてくる」とたわけたことを言う知性に乏しい人もいるようなので、人類滅亡はまだ先になりそうです。
コメント