- 「働かざる者食うべからず」っておかしくない?
- やっぱり無職は悪なの?
この記事でわかること
- 「働かざる者食うべからず」の本当の意味
- 働く意欲のない無職は悪なのか
- 不労所得で暮らしている人は悪なのか
無職の私が「働かざる者食うべからず」について考えたことを語っています。
注)すべて私個人の拙い考えです。ご了承ください。
自己紹介
- 現役の専業主夫
- 生涯労働期間8ヶ月
- 働かないけど、飯は食う派
「働かざる者食うべからず」の本当の意味
そもそも、「働かざる者食うべからず」はどんな意味なのでしょうか。
Wikipediaによると由来としては以下の二つが有名です。
- 新約聖書の一節
- ソビエト連邦の指導者レーニンの言葉
それぞれ、詳しく紹介します。
聖書の一節
新約聖書テサロニケ人への第二の手紙の三章十節に、「働かざる者食うべからず」に似た言葉が登場します。
新約聖書でのニュアンス
- 働こうとしない者は、食べることもしてはならない(口語訳聖書)
- 病気や障害により働けない人は「働かざる者」ではない
新約聖書は今から1800年以上前の書物です。
そんな大昔から「働かざる者食うべからず」に似た言葉が存在していたのは驚きですね。
また、新約聖書では病気や障害など非自発的な理由で働けない人は対象外のようです。
レーニンの言葉
ロシアの前身、ソビエト連邦の指導者だったレーニンも述べています。
レーニンの言葉でのニュアンス
- 「働かざる者食うべからず」は社会主義の基本的な考え方
- 「働かざる者」は、不労所得を得ていて労働者を酷使する資本家
「働かざる者」の対象が新約聖書とは違いますね。
新約聖書が言うところの「働かざる者」は「働く意欲のない無職」でした。
一方、レーニンが言うところでは「不労所得で暮らす金持ち」です。
社会主義は平等かつ公正な社会を理想としているため、金持ちを批判する論調が強まるのですね。
働けるのに働かない人たち
現代においても、「働く意欲のない無職」と「不労所得で暮らす金持ち」は悪者なのかを考えてみます。
働く意欲のない無職は悪くない
結論から言うと、
働く意欲がなくても生きていけるならば、なにも悪くない
と考えています。
理由は4つあります。
理由①|消費税を払っている
無職には、働きたいけど何らかの理由で働けない人と、そもそも働く意欲のない人がいます。
前者の「働く意欲があるのに働けない人」は、現代では社会保障によって生活が担保されています。
これは人間社会の豊かさの象徴でもあり、異論を唱える人は少ないと思います。
一方、「働く意欲のない無職」がのうのうと暮らすのはおかしいと考える人は多いでしょう。
これは集団の利益にタダ乗りすること(フリーライド)を許さない風潮に根付いた考えのように思えます。
みんなが働いて成り立っている社会で、働かずに生きていくなんてけしからん!
しかし、本当に無職は社会の利益にタダ乗りしているのでしょうか。
無職は消費を通じて社会に利益をもたらしているとも考えられます。
なぜなら、無職であっても消費税を納めますし、水道を利用すれば水道料金を払うからです。
いやいや、労働者は所得税や住民税も納めているんだぞ!
もちろん、無職の納税額は少ないかもしれません。
しかし、納税額で社会の利益に貢献しているかを判断するなら、年収にしていくら稼げば貢献といえるのか明確にしたいところです。
雑誌『PRESIDENT』の記事では、世帯年収が890〜920万円を超えるまでは「受益超過」との試算が紹介されています。
つまり、年収920万円未満の世帯は負担額よりも、多くの保障を受けていることになります。
令和3年の民間給与実態統計調査によると、年収900万円以上の人は給与所得者全体のわずか6.8%です。
納税額で社会への貢献度を測るならば、
給与所得者の9割以上は、無職と同じ「集団の利益を受け取る側」
になります。
なかなか受け入れがたい現実ですよね。
私は納税額の多寡で社会への貢献度を測ると多くの人が不幸になりかねないので、「法に則って納税していればOK」くらいがいいと考えます。
そして、上位6.8%の納税者には素直に感謝したほうが、より良い社会になると思います。
理由②|労働意欲の向上に貢献している
一般に無職と分類されるニート、ひも、主婦、主夫は必ず誰かに養われています。
養っている側の人には、何かしらの「養いたい」と思う理由があるはずです。
たとえ嫌々だとしても、「養ってやるか」と思えなければ成り立ちません。
配偶者
愛する妻のために働くぜ
自分の子(30歳)だから仕方なく養っています…
彼女
彼はヒモだけど、なんか可愛いから養っちゃうの
もし養っている側の人が労働者の場合、ニート、ひも、主婦、主夫は労働者の労働意欲を向上させることに貢献していることになります。
納税もして、他者の労働意欲を向上させているのですから存在意義は多分にあります。
理由③|意欲の有無が全てではない
労働意欲がない無職は、社会に貢献していないと考える人も多いでしょう。
しかし、利益を追求するならば意欲よりも能力が重要になります。
意欲と能力は相互に影響する場合もありますが、別物です。
諸説ありますが、ドイツ陸軍の上級大将ゼークトが提唱した「ゼークトの組織論」を紹介します。
ゼークトの組織論
利口かつ勤勉な人:参謀に適している
利口かつ怠慢な人:指揮官に適している
愚鈍かつ怠慢な人:命令を忠実に実行するのみの役職に適している
愚鈍かつ勤勉な人:軍隊で重用すべきでない
利口or愚鈍を能力の有無、勤勉or怠慢を意欲の有無と考えれば、やる気だけある人(愚鈍かつ勤勉な人)は軍隊で最も不要な人材になります。
働く意欲があっても能力が低ければ、むしろ集団の利益を損なうことになりかねません。
「意欲がある=良い、意欲がない=悪」というのは少々短絡的な考えかもしれません。
理由④|個人ではなく仕組みが悪い
働かない人を批判する例として、生活保護の批判があります。
私の意見としては、
不正受給を除けば、生活保護受給者は何も悪くない
と思います。
むしろ堂々と生きるべきだと思っています。
とはいえ、生活保護の良し悪しは意見が別れるところですよね。
絶対に正しいといえるのは、「受給者」は何も悪くないし批判される筋合いもないということです。
日本は法律をもとに成り立っている法治国家です。
仮に生活保護に反対するとしても、受給者ではなく、生活保護を規定している生活保護法を批判するべきです。
厳密には、法律を変えるには国会の採決が不可欠なので、国会議員に訴えかける必要があります。
何はともあれ、法律を遵守している個人を批判するのはお門違いです。
私はこのような「お門違いの批判」が、学校のズル休みやエスカレーターの片側歩行など至る所にあると感じています。
個人が悪いのか、仕組みが悪いのかを考えてから議論しないと生きづらい社会になってしまいます。
不労所得で暮らす金持ちは悪者?
結論から言うと、
不労所得で暮らす金持ちは社会貢献している人が多い
と考えます。
資本家は、投資により収益を得ているので労働せずに暮らしています。
投資の対象はさまざまですが、投資の恩恵を受けている人が必ずいます。
例えば、資本家がA社の株式を大量に買えば、A社の事業資金が潤沢になり、A社の株主・従業員とその家族の懐が潤うだけでなく、A社と取引をしているB社の株主・従業員とその家族も恩恵を受けられます。
不労所得で暮らせるということは、労働者が一生かかって稼ぐような莫大な金額を投資先に振り分けているということです。
金額だけで考えれば、労働者よりも資本家の方が社会貢献しているとも考えられます。
まとめ
この記事では、無職の私が「働かざる者食うべからず」について考えたことを語りました。
グダグダと書き綴ったものを読んでくださり、ありがとうございました。
もし、感想があればコメントをください。
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