- 子なし専業主婦って存在価値あるの?
この記事でわかること
- 子なし専業主婦・主夫の存在価値
- 家事なんかよりも重要なこと
この記事では子なし専業主婦・主夫の存在価値について語っています。
結論からいうと、子なし主婦は「存在そのもの」に価値があります。
極論、家事なんて「どうでもいい」のです。
自己紹介
- 20代の子なし専業主夫
- 新卒1年目で退職
- 理系の大学院卒
子なし専業主婦は存在価値なし?
子なし専業主婦・主夫は存在価値がない
*「子なし専業主婦・主夫」だと長いので以降は「子なし主婦」と書きます。
「子なし主婦に価値がない」と言う人は、
- 子なし主婦を否定したい人
- 自分自身を否定している子なし主婦
のいずれかでしょう。
存在価値の有無を考え出すと哲学的な問いに帰着します。
そもそも、人間に存在価値はあるのか?
今回は「子なし主婦に存在価値がある」と仮定しよう
というのも、
私自身が子なし専業主夫としての存在価値を感じているからです
あくまでも私個人の考えですが、
- 子なし主婦否定派にとっては「反論」
- 子なし主婦当人にとっては「楽になれる考え方」
と捉えてくれたら嬉しいです。
子なし専業主婦は非生産的
まずは「子なし主婦に価値がない」という主張を見ていきます。
とはいえ、身近に子なし主婦否定派がいないのでネットの意見です。
子なし主婦の生きる意味
労働も出産もしないのは非生産的すぎる
ネットの意見は大体がこんな感じです。
労働をしない専業主婦は叩かれがちです。
労働も出産もしない「子なし」はさらに叩かれやすいんだ
資本主義社会の至上命題は生産性の向上です。
資本主義に染まった現代人は非生産的な人を評価しません。
かといって、資本主義を否定するのは難しいでしょう。
子なし主婦が「社会的に」軽視されるは仕方ないのです。
重要なのは「社会的に」の部分だよ
「社会的な価値」と「配偶者としての価値」を切り分ける必要があるのです。
結論からいうと、
- 子なし主婦は「配偶者としての価値」が高い
- 「配偶者としての価値」は家事以外で決まる
と考えています。
社会の構成員としての価値
社会の構成員としての価値を測る基準は無限にあります。
社会に欠かせない労働力、税金、人口を基準にすると、
- 「労働力の供給」なら「労働者」
- 「納税額」なら「資産家」
- 「人口の再生産」なら「子あり主婦」
の価値が高いことになります。
子なし主婦はどれにも当てはまらないね
子なし主婦の社会的価値を無理やり考えると、
労働者(夫)を間接的に支えること
にあるでしょう。
しかし、間接的な貢献は見えにくく評価もされにくいです。
結果として「子なし主婦は社会的価値が相対的に低い」とみなされるのです。
*消費をするだけでも社会に貢献していますが、国民全員が消費者であり比較できないので今回は脇に置いておきます。
配偶者としての価値
子なし主婦の本丸は「配偶者としての価値」です。
どんな夫婦も依存関係にあります。
良く言えば「助け合い」だね
しかし、子なし主婦は、
「対等な依存関係ではない」と感じる人が多い
でしょう。
一般に離婚して困るのは主婦の方だと言われています。
主婦
離婚して困るのは主婦だよな
これは、
生活的自立より経済的自立の方が「すごい」と考えられている
からでしょう。
家事(無賃労働)よりも仕事(賃金労働)をする人の方が立場が上になりがちです。
誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!
だからこそ、子なし主婦の存在価値を「家事」に見出すと苦しくなるのです。
家事は誰でもできる
家事は「誰でもできる簡単な仕事」です。
こんなことを言うと次のような反論が想定されます。
- 家事だって大変!
- 家事に休みはない!
- 主婦業を給料に換算したら…
確かにその通りです。
それでも、子なし主婦の存在価値を「家事」に見出すと苦しくなります。
なぜなら、
家事代行との差別化ができないからです。
育児をする「子あり」主婦は掛け替えのない存在です。
出産はもとより、育児も完全には外注できませんから。
しかし、家事は全てを外注しても問題ないですよね。
誰がやってもほぼ同じだからね
コストは子なし主婦の方が安いでしょう。
でも、子なし主婦を「コスパの良い家事代行」と捉えるとやはり苦しいです。
家事が目的なら子なし主婦は代替可能な存在
にもかかわらず、世の中には子なし主婦が存在します。
ならば、家事以外にも存在価値があるはず!
子なし主婦の真の存在価値
では、家事以外の存在価値とはなんでしょうか。
それは、
キャラクターそのもの
だと考えています。
子なし主婦は存在自体に価値がある
キャラクターとは人柄や役割、思想などを含む総合的な人間性です。
私は妻にとって
家族、恋人、友人、業務委託先の要素を兼ね備えた存在
のようです。
- 家族として
→「安心感」「信頼感」 - 恋人として
→「愛情」「性的満足感」 - 友人として
→「楽しみ」「共感」 - 業務委託先として
→「家事」
これら全ての要素(キャラ)を兼ね備えた人は稀有ですよね。
それはどの夫婦も一緒でしょ
確かにどんな夫婦でもキャラが重要です。
しかし、
子なし主婦は特にキャラが重要です。
先述のように子なし主婦は「業務委託先」として弱いからです。
家事なら家事代行でもいいよね
労働者は生活費を稼ぐ役割が強力なので、他の役割が弱くても許されがちです。
誰ノオカゲデ飯ガ〜
他方「単なる家事キャラ」としての子なし主婦は弱い立場です。
子なし主婦というキャラクター
子なし主婦は特にキャラが重要です。
では、子なし主婦に固有のキャラはなんでしょうか。
結論からいうと、
子なし主婦の強みは「心の余裕」です。
心に余裕のある「共働き」や「子あり主婦」もいるでしょう。
しかし、現在の日本では「共働き」や「子あり主婦」の多くは余裕がありません。
(詳細は↑の本)
子なし主婦は時間に余裕があります。
そして「時間の余裕」と「心の余裕」は密接に関連しています。
ストレスを家庭に持ち込むこともないよ
夫は経済的余裕をもたらし、子なし主婦は精神的余裕をもたらす。
これが、子なし主婦家庭の強みであり、子なし主婦の存在価値です。
*私の偏見に満ちた予測ですが「共働き」や「子あり主婦」の家庭よりも夫婦仲が良い可能性が高いかも?
子なし主婦は世捨て人
子なし主婦は「現代の世捨て人」に近いです。
ある種の半僧半俗?
俗世では、会社でも学校でも競争が繰り広げられています。
会社や学校に関わらない子なし主婦は、競争社会(俗世)から半分降りています。
自分だけ隠居するってヒドくない?
残念ながら現役世代の庶民が夫婦揃って隠居するのは困難です。
一方で夫婦揃って競争に参加しても疲弊します。(参加せざるを得ない人へ*1)
実際、ストレスは夫婦間で伝染します(詳細は↓の本)。
そこで、
子なし主婦は「夫の競争疲れを癒す存在」になれば良い
のです。
「競争参加者」と「競争疲れを癒す者」に分かれた方がメリットが大きい場合もあります。
現代では「競争に参加していない」だけでレアキャラ
そのレアリティをもってして、夫に貢献するのが子なし主婦の真骨頂とも言えます。
*1:経済的事情により共働きせざるを得ない人もいるでしょう。そんな人は生活費を抑えるのが有効です。ちなみに私たちの生活費は、居住地域の生活保護費よりも安いです。生活費は家賃込みで月12万円ほど、生活保護費は二人世帯で約18万円です。
まとめ
この記事では、子なし専業主婦・主夫の存在価値について語りました。
結論としては、
① 子なし専業主婦は「社会的価値」が低くても「配偶者としての価値」が高ければ良い
② 配偶者としての価値は「家事」ではなく「本人のキャラクター」で決まる
となりました。
子なし主婦の存在価値は「家事労働を通じた間接的な貢献」と考えがちです。
しかし、家事は誰にでもできる簡単な仕事です。
ゆえに、家事代行との差別化が困難で、社会だけでなく家庭でも立場が弱くなってしまいます。
そこで、私は子なし主婦の価値を「家事」ではなく「キャラクター」に見出すべきだと考えました。
キャラクターとは、
- 家族、恋人、友人の要素を全て兼ね備えた存在
- 心に余裕がある存在
- 競争に参加しない隠者的存在
の3点に集約されます。
子なし主婦は「暇人」だの「世間知らず」だの批判されがちですよね。
それを逆手にとって強みにしてやればいいのです。
暇だからこそ、心に余裕を持てます。
世間知らずだからこそ、突飛な発想が得られるかもしれません。
ものは考えようです。
以上、私の屁理屈でしたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
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